高校留学 インタビュー

卒業留学を目指して

チャールズ・キャンベル・カレッジ (Charles Campbell College)
3 Campbell Road, Paradise, South Australia 5075
ccc.sa.edu.au

木村 隆信さん(Ryushin Kimura)

2020年1月から3年間の高校卒業留学プログラムを開始した木村さん。持ち前の明るさとポジティブな気持ちで初めての海外生活を元気に楽しんでいる。

高一から卒業まで

小学校3年生の頃に芸能活動を始めてドラマやCM、映画に出演していた木村さんは、高校生になっても芸能活動を続けて将来は俳優になろうと考えていた。しかし地元の岡山県には芸能活動と勉強を両立させる高校の選択肢が殆どなく、木村さんは中学3年生になっても高校進学について方向が決まらずにいたという。そんな時学校の英語の先生から、英語が好きだったら留学プログラムがある高校に行ったらどうかとアドバイスをされた。
祖母が海外との繋がりが多く、伯祖母は同時通訳者だったという影響もあって木村さんは元々海外に興味があり、英語も好きだった。中学2年生の頃からは学校でも英語の勉強を頑張るようになっていたという。
中学校卒業が迫る中で木村さんは「英語を話せるようになりたい。英語ができれば将来俳優としてより広く海外でも活躍できるかもしれない」と、英語を習得するために海外留学をしたいという気持ちが強くなっていた。そしてさらに真剣に考えを進めるうちに、日本の高校に入って学校の留学プログラムで留学をするのも一つだけれど、どうせなら直接海外の高校に入ってしまったらどうだろう。そんな木村さんを「留学するなら最初から入って卒業までやり遂げてみよう」と母親が後押ししてくれた。

留学先はアデレード

日本の中学校卒業後に海外留学をすることになった木村さんが、学校の先生とも相談して決めた渡航先はオーストラリアだった。治安の良さや費用面、そして何よりも人が優しいということが決め手だったという。オーストラリアの中でもアデレードに決めたのは、日本人が多過ぎないところ、都会過ぎす田舎過ぎないところ、岡山県と南オーストラリア州が姉妹都市で親近感があること、そして祖母のオーストラリア人の友達がアデレードに住んでいることだった。

オーストラリアの学校の新学年開始は1月。そのため木村さんは日本の中学校卒業を待たずに2020年1月に一人で渡航した。渡航前は不安よりも楽しみな気持ちが強かったが、いざ初めての海外に一人で行くことには緊張もあった。悪いことに渡航の日、日本からの出発便が大幅に遅れてしまい、乗り継ぎ地のブリスベンでアデレード行きの飛行機に乗り継げなくなってしまった。困りながらも木村さんは勇気を出して近くにいた人に片言の英語で声を掛けてみると、その人は木村さんの話しを真剣に聞いてくれ、一緒にカウンターに行って次の便の手続きをしてくれてターミナルバスの乗り方も教えてくれるなど、とても親切にしてもらって助かったという。
「聞いていた通り、本当にオーストラリアの人は優しい!」
木村さんはすっかり落ち着き、気持ちよく前向きな気分でオーストラリアでの留学生活をスタートした。

留学生活が始まった

留学先のCharles Campbell CollegeではISEC(集中英語コース)から始めた。最初の頃は全ての単語の意味を調べて文章を理解していたものの、徐々に辞書なしでも何となくの意味を理解できるようになり授業も楽しくなっていった。木村さんは学校の行き帰りも英語のリスニング教材を聞きながら通学していたという。ISECの中では他の国の留学生とすぐに仲良くなり、ハウスメイトのタイ人の留学生との会話も勉強になっていた。ホームステイ先では一緒に食事をとって会話に慣れていった。

しかし、学校にも現地生活にも慣れ始めた頃、アデレードでも新型コロナウィルスの感染拡大が始まった。1学期の最終週は学校が休みになり、外出も規制された。木村さんも留学当初は週末にホストと出掛けることが多かったがそれもできなくなり、ずっと家で過ごす生活となった。しかしそんな中でも、木村さんは家でNetflixで映画を観て英語の勉強に繋げた。最初は字幕を追うだけだったが、話している言葉も少しずつ聞き取れることが多くなったという。また、家の中ではトレーニングもするなど気持ちを前向きに保っていたという。ホストファミリーも優しく特に困ったこともなかった。

その後アデレードでは順調に状況が収まり、学校は2学期開始早々から通常の授業が再開され、現在木村さんはISECとメインストリームの授業を半々で受けている。小学校から続けている得意のバスケットボールを通じてローカルの生徒の友達も増えているという。
「学校でもみんな優しくて差別もない。優し過ぎるくらいです」

これからの留学生活と将来の夢

最初こそ少しはホームシックもあったという木村さんだが、困って落ち込んでしまうようなことはない。 「自分の長所は明るくてフレンドリーでポジティブなところです」
そうはっきりと言い切る木村さんにはとって、留学を始めてからより実感することがあるという。
「頑張ったら何とかなると思うようになりました。英語が分からなかったり伝わらなかったりする時は悔しいと思うこともあるけれど、どうにかして会話ができた時はとても嬉しいです。日本にいる時は正直あまり勉強をしていなかったですが、こちらでは頑張るようにしていたら1学期の成績も良かったです!」

高校卒業後、日本に帰国して俳優活動を再開させたいという木村さんが目指すのは、俳優の登竜門である"仮面ライダー"になること。
一方、留学を開始して約半年が経つ中で、自分自身や周りの留学生の生活を見ているうちに、留学生をサポートするような仕事にも興味を持つようになったという。
いずれにしても、留学生活を通じて英語をきっちりと習得し、異文化の中で視野を広げて成長して、将来の仕事に活かしていきたいと木村さんは考えている。

実は3月に日本の中学校の卒業式に出席するために一時帰国する予定だったが叶わなかった。木村さんにとって本当に残念なことだったが、「自分はここで頑張るんだ」と割り切って考えられるようになって、かえってモチベーションが高まったという。
次のタームからメインストリームに完全に移る予定の木村さんは、学校外の地域のバスケットボールクラブに入る準備も進めている。 「留学に来て良かったです。これからもっと色々なことにどんどんチャレンジをしていきたいです!」
木村さんの留学生活はこれから益々充実していく。

取材:2020年6月

やる気を持って前向きに!

ブライトンセカンダリースクール (Brighton Secondary School)
305 Brighton Rd, North Brighton, SA 5048
brightonss.sa.edu.au

豊田千裕さん(Chihiro Toyoda)

日本の中学校を卒業してすぐにアデレードにやってきた豊田さんは、2019年12月、充実した3年間の留学生活を無事に終了。2020年からオーストラリアの大学に新しいチャレンジを始める豊田さんに留学生活を振り返っていただきました。

Q1. 日本の中学校を卒業してすぐに留学しましたが、いつ頃から留学をしようと決めていましたか?

昔から英語には興味があり2週間などの短期留学にいつか行きたいなとずっと思っていました。本格的に長期留学をすることを考え始めたのは確か中学3年生の6月頃だったと思います。

Q.2 卒業留学を決心した理由を教えてください。

中高一貫に通っていた私は、高校生になったら学校が提供する1年間の留学プログラムに参加したいという気持ちが芽生えたのが始まりでした。1年間の留学で学べるものは、留学先の風習、文化、慣習、考え方、そして言語。1年間で学べるものはたくさんあると思います。でも、少し海外の事がわかる程度、少し英語が喋れる程度など、中途半端にしたくないという思いがとても強くありました。1年間の留学を経て日本の高校に戻り、私に何が残るのか考えた時、私には3年間の卒業留学が合っていると思ったんです。また、中学生だったあの頃、自分がどんな高校生活を送っていくのか、先輩方を見て想像する事が出来ました。自分の未来を想像できてしまうことにつまらなさを感じていたことをとても覚えています。

中途半端に終わらせるのではなく、必ず自分の強みにすること。そして高校生活が人生で一番頑張ったのだと言える3年間にしたいと。3つ上の兄が大学受験を頑張っている姿に背中を押され、自分のしたいことを一生懸命頑張りたいと思い卒業留学を決心しました。

Q.3 留学先はどのようにして検討しましたか?

インターネットで国の特徴や気候を調べたり、留学フェアに足を運んでみたり、留学エージェントとの無料カウンセリングに行ってみたりしました。
当時私の留学先の条件は安全で治安が良く、費用を抑えられる場所。日本人が少なく、海が近くて、気候も良い所。これらの希望を叶えられる場所を探していました(笑)。

Q.4 アデレードを留学先に選んだ理由は何ですか?

当時、治安の良さとコスト面からオーストラリアとニュージーランドでとても迷っていました。そんな時、母がアデレードに住むお友達に連絡を取り、現地の情報を聞いたところ、アデレードは私が希望するすべての条件を満たす場所である事が分かったのです。母の知り合いがいるという安心感もあり、アデレードに留学すると決めました。

Q.5 アデレードに着いた時はどのような気持ちでしたか?

留学前にオーストラリアに来た事は一度もなかったのですが、これから始まる知らない街での新しい生活に胸が高まり、ワクワクでいっぱいでした。もちろん不安もありましたが、楽しみの方がずっと大きかったです。
飛行機を降りて、アデレード空港で初めてホストファミリーに会う時は緊張しましたが、ホストシスター(当時6歳)がTOKYOと書かれたパーカーを自慢げに見せてくれて緊張がほぐれました(笑)。

Q.6 学校は先ずはISEC(集中英語コース)から始めたそうですが、どうでしたか? 

ISEC内ではもちろん授業は全て英語で行われます。英語が特別できるわけではなかった私は英語を聞き取ることがとても大変でした。先生の言っていることが理解できない、宿題が何か分からない。授業内容や英単語を理解するためにGoogle翻訳には随分お世話になりました(笑)。

Q.7 英語面ではどのような苦労がありましたか?

レポートなどで英語の長文を書かなければならない時、自分のボキャブラリーがあまりにも無く辞書なしでは何も書けませんでした。辞書から新しい単語を習得しても使い方を間違え意味が通じない文になってしまう事も日常茶飯事でした。
ボキャブラリーを増やすために、授業中に意味がわからなかった単語をノートに書き出していました。その後電子辞書で意味を調べ、今後の課題で使えそうな単語であれば積極的にその単語を使っていました。
ライティング力を伸ばすために最初の頃は毎日、または毎週金曜日の夜に英語で1ページ日記を書き、ホストファザーに英文をチェックしてもらっていました。

Q.8 友達面はどうでしたか?

ISECは英語を学ぶための主に留学生のみのクラスとなっているため、オーストラリア人(現地の生徒)と関わる機会がありませんでした。ただ、ISEC内では拙い英語で一生懸命みんなと話し、クラスのみんなが英語を学んでいるという立場から、英語を話すのに恥じらいは一切ありませんでした。ISECには様々な国から来た留学生がいました。初めて海外の友達ができて、とても嬉しかったです。

英語力を伸ばすことに必死だった私は日本人と日本語を喋ることを避けていた時期がありました。出来るだけ英語を喋らなければならない環境を作り、他国の子に積極的に喋りかけ友達を作っていました。既にメインクラスにいる中国人の子と友達になった事をきっかけにISEC外の友達をたくさん作ることが出来ました。

Q.9 ISECで良かったこと、楽しかった思い出などありましたら教えてください。

ISECは学校に慣れるのに最適な環境だったと思います。少人数クラスのため、先生方の目が全ての生徒に行き届いていました。先生方は私達のためにわかりやすい英語で喋って下さり、分からない単語も優しく教えてくれていました。英語が喋れないことが前提のため、みんな優しくしてくれていたのが印象に残っています。
授業内ではゲームやスポーツをしたり、遠足に行ったり、休日にクラスのみんなと出掛けたりする事があり、友達を作りやすく、授業にも楽しく取り組む事ができました。

Q.10 ホームステイでの生活はどうでしたか?

留学を始めた当初は食文化の違いに戸惑いましたが次第に慣れ、食に困る事はありませんでした。私の好みを理解してくれて、毎日美味しい料理を作って貰っていました。一緒に日本食を作ったり、毎日の晩御飯のお手伝いをしていました。ホストファミリー達とは家のプールで遊んだり、海まで散歩したり、色々な場所に連れて行ってもらったりとたくさんの思い出ができました。拙い英語で悩み事を相談しても、親身に聞き入れてくれて一緒に解決してくれました。
また、どんな時でも私の英語力を伸ばすために正しく英語に直してくれて、たくさんの単語や言い回しなど教えてもらいました。常に英語が聞こえ、喋る生活になった事により英語力がグンと上達したと思います。本当の家族の様に私の事を迎え入れてくれたこと、英語力を伸ばしてくれた事、ホストには本当に感謝しています。
ホストが決めたルールにきちんとと従い、ファミリータイムをとても大切にしていたため、ホストファミリーとは素敵な関係を築く事ができました!

Q.11 学校ではISECを修了していよいよ現地クラスに移りましたが、どうでしたか? 最初は色々と大変だったと思いますが、どうやって乗り越えましたか?

ISECに約半年間在籍し、英語や学校、異国の環境にしっかりと慣れた状態で現地クラスに移りましたので、特に戸惑う事なく授業を受ける事ができました。
しかし、誰も知らない現地の子とのクラスで友達を作るのは大変でした。自分から話しかけない限り、向こうから話しかけてくれる事は少なかった様に思います。当時は英語に自信がなく少しシャイだった私にとって、自ら話しかけに行く事は大きなチャレンジでした。でも、一度勇気を出して話しかけてみると、みんな優しく接してくれ、分からない事があれば丁寧に教えてくれました。徐々に自分に自信が付き始めると、自ら話かけることや友達を作るのが簡単になっていっていたと思います。

Q.12 放課後や週末はどのようにして過ごしましたか?

ホストファミリーが車で数時間もかかる遠い所や友達のホームパーティーなどに連れて行ってくれたり、一緒にショッピングに出かけたりしました。また、友達とシティーや近くのショッピングモールなどに出かけすることも多かったですね。ビーチの近くに住んでいたのでビーチ沿いを歩きながら下校したり、放課後に友達と海に行ったりしていました。
高校3年生になり勉強が忙しくなり始めると、休日は宿題をしたり、図書館に行って勉強する時間が増えました。

Q.13 留学生活を通して、どんな成果があったと感じていますか?

3年間、英語の環境にいる事ができ、この留学で確実に自分の英語力を伸ばす事ができました。英語力だけでなく、日本とは違うディスカッションやプレゼンなどが多いオーストラリアの高校では自分で物事を深く考えること、他の人の意見を理解する事の大切さを学ぶことができました。
オーストラリアという多国籍の国で、様々な国の文化の違いを身近に感じ、日本という国を外から見つめる事により、日本の良さに気付かされることもありました。自国を他国から見つめ直す事により、自分の当たり前が他者にとって当たり前ではなく、ありえない事が普通である事に気がつきます。様々な人の価値観と文化の違い、考え方を知ることでき、日本の高校に進学していたら得られなかったこの経験は私の強みになりました。
また、15歳の時に一人で渡豪し、家族と一緒にいられることがどれだけ幸せだったのか気づく事ができました。たくさんの困難に立ち向かい、出来ないと思った挑戦を乗り越えた事により、大きな"自信"を得る事ができ、本当に自分自身が強くなれたと思います。

Q.14 高校を見事に卒業しましたが、これからの進路や夢を教えてください。

オーストラリアの大学に進学します。第一志望の大学に合格する事ができ、そこでコミュニケーションについて深く学びたいと思っています。留学を通してコミュニケーションの取り方の大切さを実感する事が多く、もっともっと知りたいなと思うようになりました。 大学卒業後に何をしたいのか明確なものは決まっていないのですが、英語を使えるようになった以上、オーストラリアで働く、日本で働くなどとは決めず、世界を舞台に自分がやりがいを感じる仕事に就きたいなと思います。

Q.15 最後に、これから留学をする人にアドバイスがあれば教えてください。

アドバイスとして、留学前に英単語の勉強をお勧めします。私が留学をする前もっと勉強しとけば良かったなと思い、ボキャブラリーを少しでも多く知っておく事は本当に大切だと思います。英語での会話が出来ない、文章を書けなかったとしても、ボキャブラリーの多さは武器になると思います。
あとは、やる気です。どんな時でも色々な事に対してやる気を持つ事が大切だと思います。 「自分から話しかけてみよう」「先生に質問してみよう」「友達を作ろう!」など、失敗や恥は自分が思うほど誰も気にしていません。間違えることを怖がってはダメです。英語に自信がなければ、英語を喋れる子に「英語をもっと教えて!学びたいの!」と伝えるなど、いつでもやる気だけは失わずに前向きに頑張ってください。
留学中には、泣くほど辛い大変なことや自分の英語力にがっかりする事などは何回もあると思います。それでもやる気と意欲だけは持ち、自分がなぜ留学しているのかを見失わないようにして下さい! 何があってもやる気だけあれば大丈夫だと思います(笑)! 楽しくて、意味のある素敵な留学生活を送れることを願っています。

取材:2019年12月

人生を変える高校留学

ノーウッドモリアルタ・ハイスクール (Norwood Morialta High School)
505 The Parade, Magill, SA 5072
nmhs.sa.edu.au

濱口 芽衣さん(Mei Hamaguchi)

2018年1月から東京都の留学プログラムでYear 11としてアデレードに留学中の濱口さん。留学してから8ヵ月が過ぎ、「自分には合っている」という海外での生活を元気に楽しんでいる。

海外に出る!

濱口さんは子どものころから特に海外に興味をもっていたという訳ではなかったが、高校2年生のときにアメリカに住む叔父を訪問したことをきっかけに海外を意識するようになった。叔父が見ず知らずの人とも普通に会話をしているフレンドリーな雰囲気を感じて「いいな」と思ったという。濱口さんは英語は元々好きだったこともあり、高校3年生になる直前の春休みには1ヵ月ほどカナダに語学留学して海外生活を再び楽しみ、帰国する時には「私には海外が合っている。また海外に行くんだ」と決心していた。
そして、帰国後すぐに申請をした次世代リーダー育成道場を見事にパスし、高校3年生の1月に大学受験をする友達と別れてオーストラリアの高校への1年留学を開始した。

濱口さんが参加している"次世代リーダー育成道場"は東京都教育委員会が設立した留学プログラム。次世代リーダー育成道場は留学にチャレンジする都立高校生を支援するプログラムで、広い視野や高い英語力、チャレンジ精神や使命感などを身につけて将来日本を担い国際社会で活躍していく人材を育成することを目的としている。2018年は濱口さんも含めて次世代リーダー育成道場に選抜された40人の都立高校生がアデレード市内および近郊の高校にそれぞれ散ってホームステイをしながら約1年間の留学生活を送っている。

アデレードでの高校生活

英語は好きなものの話すことはあまりできなかったという濱口さんだが、次世代リーダーのプログラムでは、現地校は英語コースからではなくローカルの普通のクラスからの開始となる。そのため濱口さんは最初学校で先生が何を言っているのか分からずに苦労したという。しかし、先生の話を録音して後で確認をしたり、単語帳を作ったり、インターネットで調べたりしながら家に帰ってもずっと勉強していたという。また、友達に助けてもらったり、人の話しを真似してみたり、勉強のために映画もよく観た。そして、日本人の友達とも英語で話す。その結果しばらくしてくると段々と英語を聞き取れるようになり、自分からも話すことができるようになっていった。

「最初は本当によく分かりませんでしたが、5ヵ月くらいでちょっと身についてきたかなと思いました。今では自分が成長していることも実感できるようになってきました」。

最初の数ヶ月を「とても凝縮した時間でした」と語る濱口さんが一番成長したのは、パソコンが日常のツールとなっているオーストラリアらしく"タイピングスピード"だそう。

野外教育(Outdoor education)

スポーツは何でも好きという濱口さんは、アデレードでは学校でバスケットボールとオーストラリアフットボールを楽しんでいる。フットボールでゴール決めたときは嬉しかったという濱口さんだが、学校のプログラムの中で一番気に入っているのは野外教育(Outdoor education)の活動だ。Norwood Morialta高校のOutdoor educationではキャンプに向けたプランニングやメニュー研究、トレーニングなどを行い、実際半年に1回キャンプに行く。キャンプではチームでハイキングやロッククライミングも行うが、野外教育を通じて、環境のことやリーダーシップ、グループダイナミクスなどについて自然に学ぶことができる。
「こんなに自然の中に入り込んだことは今までなかったです。夜真っ暗なビーチでみんなで寝転がって見上げた星は感動的でした。日本ではなかなか学べないようなことに出会うことができて、キャンプは今回の留学生活の中でも最高のイベントでした」。

留学を通じて

留学前、将来自分でなりたいものや目標などは特になかった濱口さんは、この1年の留学中に将来のことをじっくり考えることにしていた。そして8ヵ月経った現在、夢はまだよく分からないものの進路は見えてきた。叔父のいるアメリカの大学に進学して国際関係とスポーツを勉強することだ。
「オーストラリアの高校では考える力を育てる感じがしています。科目の数も多くて自分がやりたいことを見つけやすいようにも思います。私は日本で使っていなかった部分の脳が成長したような感じ、想像力も伸びたと思います」。濱口さんにとって、アデレードでの留学生活は自分の将来を創っていく大きな一歩になったようだ。

最後に濱口さんはこれから留学する同世代の人たちにメッセージを残してくれた。
「留学すると色々と大変なこともあると思いますが、周りにはいい人が必ずいます。困ったりしたら自分から声を掛けてみると良いと思います。オーストラリアでは色々な人や文化と出会えるので、日本ではできないようなことを学ぶことができて自分も成長できます。留学は人生を変えると思いますので、頑張ってチャレンジしてみてください。
でも、留学中に一番大切なことは"他人と自分の留学生活を比べない"ことだと思います。比べたところで得られるものは無駄な焦りと嫉妬だけです。自分のペースで楽しんでください」。

濱口さんの留学生活もあと残り3ヵ月。最後まで自分のペースで楽しみながらアデレードでの留学生活を満喫していく。

取材:2018年9月

バレーボールと勉強を両立させる高校留学

ブライトンセカンダリースクール(Brighton Secondary School)
305 Brighton Rd, North Brighton, SA 5048
brightonss.sa.edu.au

松田 命子さん(Meiko Matsuda)

2017年1月、日本の中学校3年生だった松田さんは2ヵ月後の卒業を待たずにアデレードでの高校留学生活を開始。小学生のときから打ち込んでいるバレーボールと勉強を両立させる充実した日々を送っている。

海外でも通じる"自分ができるもの"

元々英語にはとても興味があったという松田さんは、小さい頃から「将来自分は外国に行っているんだな」という漠然としたイメージを持っていたという。中学校に入って"海外留学"という方法があることに気がつき、留学するかしないか、ということではなく、大学で行くか高校で行くかということが松田さんにとっての選択肢となっていた。
「高校留学する人の方が少ない分、メリットも大きいのでは」と思った松田さんは、友達が高校進学について考えるのと同じように、自分は高校留学をするということを本格的に考え始めたという。

松田さんは小学生からバレーボールを始め、中学校はバレーボールの強豪校で厳しい練習に一生懸命取り組んでいた。その原動力にもなっていたのは、「海外に行ったときに自分で一つできるものがあった方がいいかな」という将来のビジョンだった。
そして松田さんは、留学してもバレーボールは続けていこうと考えていた。

バレーボールスペシャルプログラム

その頃、松田さんに高校留学を最終的に決心させる一つの出来事があった。バレーボールの強豪校に進学した中学校のバレーボール部の先輩が、高校で一緒にバレーボールをしようと誘ってくれたのだった。松田さんにとってその誘いは魅力的で、高校留学と並ぶ選択肢として真剣に考えたという。しかし、最終的に松田さんは高校留学することを決心した。
「日本の高校ではバレーボールは満足いくところまでできるかもしれませんが、勉強が疎かになってしまうかもしれません。反対に勉強を頑張ればバレーボールと両立させることが難しくなってしまうかもしれません。でも留学した場合はバレーボールと英語など自分のやりたいことをうまく両立できると思いました」。
両親も松田さんの気持ちを尊重してくれ、具体的な留学先選びが始まった。

実は最初はアメリカを留学先として考えていたという松田さんだが、シーズン毎に競技スポーツを変えるのではなく1年を通じて同じスポーツを続けることができるオーストラリアに留学先を絞り、その中でもバレーボールが強い学校があるアデレード、さらには自分が好きな海の近くにある学校ということでBrighton Secondary Schoolを選んだ。

Brighton Secondary Schoolにはバレーボールスペシャルプログラムがあり、300人以上の生徒がプログラムに入りバレーボールを一つの科目として履修し、単位も取得している。また、大会に参加することも授業の一環となる。バレーボールスペシャルプログラムには選考を通らないと入ることができないが、松田さんは日本から南オーストラリア州教育省への留学申込時に自分のバレーボールの試合の映像も提出して見事に選考をパス。バレーボールスペシャルプログラムへの参加を事前に確定させての渡航となった。

金メダルとMVP

2017年1月、留学が始まって学校ではISEC(International Secondary English Course / 留学生向けの高校入学準備コース)からのスタートとなった。ただ、松田さんはISEC期間中も科目の一つをバレーボールに差し替えて最初からバレーボールができるようになった。
「ISECではローカルの生徒との接点ができづらいのですが、自分はバレーボールをしていたので留学生同士はもちろん、ローカルの友達もできやすかったです」。

松田さんは日本で考えていたように、バレーボールを通じてスムーズに留学生活に入ることができた。Year11になった今では履修科目数が減ったものの授業の内容は濃くなってきていて、勉強面でもとても充実しているという。また、ホームステイもとても気に入っているそう。

一方、バレーボールスペシャルプログラムでは1年間に2回全豪レベルの大きな大会があり、自分が参加するチームはトライアルの結果を受けて年齢およびレベル別に配属されることになる。松田さんは昨年12月の大会でUnder 16の枠の中でも一番の上のチームのメンバーとして優勝し、自身もMVPを獲得する大活躍だった。

留学してみて

「最初は英語が大変でした。先生の言っていることも分かりませんでした」という松田さんだが、なるべく他の人と話すことを心掛け、わからない単語もすぐに調べるのではなく会話の流れから理解しようとしたという。大変だったというISECについても「メインストリームに行ってからスムーズに勉強ができたのも、パワーポイントやエクセルなどをISECで学んだことのお陰でした。結局は自分がやるかどうか、自分次第だと思います」。

松田さんは、高校卒業後は日本の大学ではなく海外の大学に進学することを考えているものの、まだ将来の仕事に対する具体的なイメージないという。でも興味がある科目ややりたいことはたくさんあり、選択できる科目数が多いことも留学したメリットと感じている。
「日本の高校生も少しはしてみたかったけど、貴重な留学経験は一生に一度、しかもたった数年間のことなので、思い切ってチャレンジしてアデレードに高校留学して良かったです」。松田さんの高校留学生活はまだ前半が終了したばかり。後半もバレーボールと勉強を両立させながらますます充実した留学生活を楽しんでいく。

取材:2018年6月

思っていたより大丈夫!

Brighton Secondary School(ブライトンセカンダリースクール )
305 Brighton Rd, North Brighton, SA 5048
brightonss.sa.edu.au

清水 香帆さん / Kaho Shimizu

2017年1月からYear 10として留学を開始した清水さん。留学生活も2ターム目となり、自分の成長を感じながら充実した毎日を過ごしている。

弾丸のようにやってきた

「日本の外に出てみたい」と小さいころから思っていた清水さん。中学2年生のときに参加したアメリカへの語学プログラムでその気持ちがますます強くなり、友達がオーストラリアに留学するという話を聞いて海外留学が一気に身近なものとなった。また、オーストラリアでは学校の科目も自分で自由に色々と選べるという話も聞いて、「留学して自分の興味があることをもっと深く学びたい」と思うようになったという。そして高校1年生の2学期に「留学してみたいな」と父親に相談し、清水さんの気持ちを理解し応援してくれた父親と一緒にすぐに手続きを開始。その数ヶ月後、清水さんはアデレードの地に降り立っていた。 「"弾丸"でした。特別に留学の準備をしたり英語を勉強してきたわけではないので、最初は大変でした」

記憶の中のアデレード

実は清水さん一家は以前アデレードに住んでいたことがある。清水さんが2歳半のときに日本に戻ったため自分の記憶にはないが、アデレードの良さは両親から聞かされていたという。留学先としてアデレードを選んだのも、人の優しさや住みやすさ、安全面など、アデレードの良さを知っている清水さんとしては自然な決断だった。 「実際に来てみて、ステイ先のファミリーや学校の先生、たまたま飛行機で乗り合わせた人、皆さんとても親切です。私たち日本人もこの親切さを学ばなくてはと思いました」

3週間と3ヵ月

優しい人に囲まれて留学に適した環境は整っているものの、当初は苦労も多かった。 「留学開始からの3週間が大変でした」と清水さんは話す。勢いよく留学を開始したものの、日本が恋しくなりホームシックになったと言う。

「落ち込んでもしょうがない」と自分の気持ちを鼓舞してホームシックをうまく克服し、学校の勉強にも意欲を持って取り組むものの、今度は言葉の壁が立ちはだかる。
「得意の数学も、問題の意味がわからなくて解けませんでした。問題文の単語を調べて理解できれば1分もかからないで解けるんですけど」 「プレゼンの準備も発表も慣れていなくて、とにかく大変でした」
そんな苦労が続いた最初の3ヶ月。
「夜10時にホストファミリ―は就寝、年下のホストシスター2人もいるから自分が遅くまで起きて気を遣わせてはいけない」と、清水さんも10時に就寝し、朝3時に起きて宿題に取り組む日々が続いた。

そして留学生活も4ヶ月目に入った頃、母親が弾丸日程で日本から来てくれた。
「母親がアデレードに来たので街を案内している時に、自分の英語力が伸びてきていることに気づいたんです」

近くにいる友達も清水さんの変化に気づいていた。
「最初の頃は一緒にお店に出掛けても注文する時には英語の出来る友達に頼っていました。でもいつの間にか、自分で好きなものを注文できるようになっていました! 自分では気付かなったけど、友達に言われて気づいたんです」

学校でも授業で先生が言うことをスムーズに聞き取れるようになったという清水さん。知らないうちに身に付いてきた英語力、何かのきっかけでそれに気づいた時、それまでの努力が大きな自信につながることを清水さんの笑顔が物語っている。
「周りから『最初は大変』と言われ覚悟をしてきました。実際大変なこともありましたけど、今振り返ってみると思っていたよりも大丈夫でした!」

いま、そしてこれから

「留学初日のオリエンテーションでたまたま一緒に座った中国人留学生と仲良くなって、よく一緒に出掛けたりしています。違う国の人と仲良くなったり、文化を知ったりすることは楽しいですし、会話はもちろん英語なので自分のためにもなります」
実は今回のインタビューで久しぶりに日本語を沢山話しているという清水さんは、英語での会話はまだまだ苦労があるというものの、ホストファミリーともよく話をするなど現地での生活を楽しみ、しっかりと根をおろし始めている。
一方で、日本の家族と離れて生活することで家族の有り難さや大切さにも気づくことができたとも言う。
現在ISEC (Intensive Secondary English Course / 留学生向けの高校入学準備コース)で学ぶ清水さんだが、これからメインストリームのクラスに入ってローカルの友達もたくさん作り、将来は日本とオーストラリアを繋ぐ橋渡し役を担えるようになることが夢だと言う。
「日本、オーストラリアのそれぞれの良いところをたくさん見つけて、それをお互いにとって生かせるような仕事ができたら嬉しいです!」

オーストラリアで見つけた将来の夢に向かって、清水さんはマイペースに歩んでいる。

取材:2017年6月

積極的に行動する

William Light R-12 School(ウィリアムライト R-12 スクール)
21A Errington Street, Plympton SA 5038
wlightr12.sa.edu.au

笹川 茉衣さん / Mai Sasagawa

2016年2月から東京都の留学プログラムでYear 11としてアデレードに留学中の笹川さん。憧れだった海外での生活を持ち前の前向きさと積極性で満喫している。

留学のきっかけ

子どもの頃からテレビ番組は海外の話題を取り上げたものばかりを好んでよく見ていたという笹川さんは、成長するにつれ次第に日本から出てみることを考え始めたという。「日本という環境から抜け出して自分がどこまで一人でやっていかれるのか試してみたい」。そんな気持ちが強くなっていたときに母親が勧めてくれた東京都の留学プログラム。笹川さんは迷うことなく応募した。

笹川さんが参加している留学プログラムは東京都教育員会が設立した"次世代リーダー育成道場"と呼ばれる。次世代リーダー育成道場は留学にチャレンジする都立高校生を支援するプログラムで、広い視野や高い英語力、チャレンジ精神や使命感などを身につけて将来日本を担い国際社会で活躍していく人材を育成することを目的としている。2016年は笹川さんも含めて次世代リーダー育成道場に選抜された60人の都立高校生がアデレード市内および近郊の高校にそれぞれ散ってホームステイをしながら約1年間の留学生活を送っている。

吹っ切れた

もともと英語は好きで日本の学校でも得意科目と自分では認識していた笹川さんだが、いざアデレードに来てみると自分が思ったほど話せない、聞けないということに大きなショックを受けたという。学校が始まっても片時も電子辞書が手放せず、先生に何かを聞くにも使う単語や文章もままならない状態。そして友達を作るにもクラスメイトの輪の中に入ることが怖くて最初は友達作りのきっかけも持てなかったという笹川さん。

でも、1ヵ月半位経ったときに急に自分の中で何かが吹っ切れて、クラスメイトに自ら声をかけて隣に座るようにするなど自分からコミュニケーションのきっかけを作れるようになっていった。
「最初は『相手から聞いてくれるだろう』と自分が受け身の姿勢だった部分があったのだと思います。でもやっぱり特にこちらでは自分から手を挙げていかないとダメだということに気がつきました」。
それからは友達もどんどん増えて、先生のところにも授業後に質問に行くなどして勉強面でもしっかりとついていかれるようになり、今ではすっかりクラスの一員として溶け込んでいる。

英語面ではまだクラスで扱う討論番組のビデオなどについていくのは難しいものの、その後日常会話には随分慣れて、今では先生の話していることや勉強している各科目の内容も大きな問題はないという。また、日本にはない演劇のクラスは特に興味深く、「演劇は幼稚園以来です。言葉の勉強にもとても良さそうです」と楽しそうだ。

学校の外でも

充実した学校生活を送る笹川さんだが、それに満足することなく週に1回は一人でバスに乗ってシティの州立図書館に行き、無料の英語グループレッスンに参加して英語でのコミュニケーションの場を広げている。
「グループの中で私が一番若いんですけど、ハチャメチャな英語でもいいので毎回必ず2回は発言しようと決めて頑張っています」。

また、最近ではコミュニティイベントで得意の書道を教えるボランティアも体験した。
「日本の文化を伝えるようなこともしたいと思っていたので、とてもいい経験になりました。人生初ボランティアです。これからも英語を上達させながら人との交流を広げるために日本の事に限らずボランティア活動には参加していきたいと思っています」。

日本にいたときは自分の意思が定まらずに揺らぎやすいタイプだったという笹川さんだが、留学の目的の一つとして掲げていたことがある。
「私は今回の留学経験を通して、『私はこう思う』、『私はこういう人だ』と堂々と言える自分になっていきたい」。 そのため笹川さんは、自分だけではなくて色々な人の考え方を知り、人の良いところを理解できるようになるためにもコミュニティ活動への参加は貴重な機会と捉えている。
「実際こちらでは色々な国の人が集まっていて、ものの考え方は一つだけではないことが分かりました。柔軟性も持った人間になっていきたいと思っています」。
高校卒業後は大学で国際的な知識を身につけて、できれば世界で活躍できるような日本人になっていきたいという笹川さん。国連で働くことにも興味を持っている。

これから高校留学する人へのメッセージ

「留学に来たら恥ずかしいと思ったり、モジモジとしている時間はもったいないので、時間を無駄にしないでドンドン行動をした方がいいと思います。英語の勉強も前もってしっかりしておくことをオススメします!」

取材:2016年5月

チャンスをつかむ

Marryatville High School(マリアットビル・ハイスクール)
170 Kensington Road, Marryatville SA 5068
marryatvillehs.sa.edu.au

西巻 汐理さん / Shiori Nishimaki

日本の中学校を卒業直後の2014年4月にアデレードで高校卒業留学を始めた西巻さん。最初は不安一杯の中での留学生活だったが、いまでは自信もしっかりとついて充実したYear 11生活を送っている。

留学のきっかけ

もともと小さい頃から海外に行くことが憧れだったという西巻さんだが、英語を身につけることについては冷静にその必要性を感じていた。「これからの日本はますます英語が必要になると思っていました。英語をマスターできれば自分への自信にもつながるし、社会にも貢献できる人間になれると思いました。だから中学校を卒業したら海外留学をしようと思っていたんです」。
周囲からは心配する声もあったが西巻さんの意思は固く、賛同してくれた母親の佐知子さんもガーディアンとして一緒に留学に同行することとなった。

不安を乗り越えて

「母親と一緒だったので安心感はあったのですが、実際に海外に初めて出てみると自分の中で"怖い"という気持ちがドンドン強くなってしまいました。英語も中学でそれほど勉強したわけではありませんでしたし...」。そんな不安が日本へのホームシックにもつながり、西巻さんは留学開始早々に挫折しかけときもあったという。でもそんなときに現地で出会った日本人や海外からアデレードに来た自分と同じような環境の人たちなどから、自分も最初は大変だった、私も同じような経験がある、という話を聞かせてもらったり励ましてもらったりするうちに「辛いのは私一人じゃないんだ」と思えるようになったという西巻さん。その後はゆっくりと学校や現地の生活に慣れるようになったという。

西巻さんはISEC(International Secondary English Course / 留学生向けの高校入学準備コース)に8ヵ月間通った後に現地のYear10のクラスに編入。交流の幅もさらに広がってローカルの人たちとコミュニケーションをとる機会も多くなったという。勉強面では難しさも増したが、「わからないところは先生に直接聞くようにしながら何とか乗り切りました」。自分で分からないことは誰かに聞けば答えてくれる、ということを自分の経験を通して学んだという。また、一番苦手だったという自己アピールにも徐々に慣れてきて、先生や友人とのコミュニケーションもよりスムーズになっていった。

日本の中学校時代はテニスで活躍していた西巻さんは、アデレードでも一般のテニスクラブに入って大会にも参加している。現在はディビジョン1という上級のカテゴリーで頑張る西巻さんだが、「勉強が追いつかなくなるのでテニスの練習は週に1回にしています。でも本当にいいリフレッシュになっています」とテニスをしていることが勉強面にもプラスになっていることを実感している。

高校を卒業したら

卒業後のことはまだ決めていないというものの、西巻さんは英語圏の高校を卒業するということを生かしてできれば英語圏の大学に進学するか日本の大学でも英語を生かせるようなところに進んでいきたいと考えている。

「お母さんが頑張って今の私の留学生活を支えてくれているので、それを無駄にはしたくありません。今心理学にとても興味を持っているので、将来は人の心理に関連するような仕事に就けたらいいなとも思っていますが、とにかく社会に貢献して活躍できる人間になりたいです」。

これから高校留学をする人へのメッセージ

「私もそうでしたが、留学するということはとても度胸がいることだと思います。でも度胸を持って始めてしまえば何とかなると思います。分からないことは自分から積極的に人に相談してください。そして、チャンスは必ずありますので、それを見逃さずに自分でつかむとることが大事だと思います。留学は辛いこともありますが、きっと頑張った分だけ自分の財産になると思うので、頑張って欲しいと思います。私も色々大変なことがあり今でもまだ悪戦苦闘中ですが、今は留学して良かったと思っています」。

取材:2016年2月

達成感のあった留学生活

Glenunga International High School(グレナンガ・インターナショナルハイスクール)
99 L'Estrange Street, Glenunga SA 5064
gihs.sa.edu.au

金子 綾子 / Ayako Kaneko

日本の中学校卒業後に単身でアデレードに高校留学した金子さん。自ら選んだGlenunga International High Schoolでの高校生活は達成感に満ちたものだった。

留学のきっかけ

日本では中高一貫教育の私立学校に通っていた金子さん。そのため留学を考えたことはなかったが、メルボルンへの留学を検討していた姉と一緒に留学フェアに参加したことで、「留学」という選択肢が突如クローズアップされたという。姉は高校卒業後にビクトリア州に留学することになったが、姉と一緒の場所だと頼ってしまうかもしれないと思い金子さんは他の地域を検討。最終的には、高校留学で定評のあるアデレードに絞り、中学3年生の夏休みに家族でアデレードを訪れていくつかの現地校を実際に視察。そして決めたのがGlenunga International High Schoolだった。「生徒達がしっかりしていて印象が良かったです。シティからも適度に離れて落ち着いているところも良かったです」

充実した高校生活

2012年4月、いよいよアデレードでの高校留学生活を始めた金子さんが最初に入ったのはISEC (International Secondary English Course) と呼ばれる留学生向けの高校入学準備コースだった。ISECで2 3タームを過ごす留学生が多い中、金子さんは1タームでISECを修了、7月からはYear 10の現地クラスに編入した。「ISECに日本人は私一人だったので、かえって先生との距離も近くなって英語を伸ばすためにはとても良かったです」。アデレードに来る前に特別な英語の勉強をしていなかったという金子さんだが、順調な留学生活スタートとなった。

2013年1月にはそのままYear 11に進級したが、Glenunga International High Schoolは南オーストラリア州では唯一国際バカレロア(IB)ディプロマプログラムを認定する公立校のため、Year 11になるときに一般の高校プログラムもしくは国際バカレロア(IB)コースを選択することができる。金子さんはそれまで国際バカレロアについて知らなかったが、友達が選んだからということでIBコースを選択した。現地生徒と一緒になっての勉強は決して楽なものではなかったが、「英語で話したり勉強することは、同じことを日本語でやるよりも難しいです。でも結果が出たときはその分大きな達成感を感じられますし、できることも段々と増えていきました。夜遅くまで勉強しても苦にはならなかったですし、色々チャレンジすることは楽しかったです」。金子さんは前向きな気持ちで自分の留学生活をより実りあるものに作り上げていった。

また、IBコースの専用プログラムには校外でボランティア活動に従事するというものもあり、金子さんはレッドクロスなどのチャリティイベントやアデレード日本語補習授業校のボランティアなどに積極的に参加した。金子さんは「オーストラリアはみんなで楽しみながらチャリティやボランティアに参加できるのが良かったです」と学校の外でもオーストラリア生活を満喫したのだった。

これからの夢

Year 12になってからは毎日深夜まで勉強したというハードな高校最終学年も2014年11月の試験終了で一段落。「当分は勉強のことは気にしないでゆっくりしたいです。友達とたくさん遊びたいです!」。最後まで頑張った達成感と安堵感に満ちた金子さんだが、高校卒業後はオーストラリアかカナダの大学に進学して会計士を目指すことにしている。元々数学が好きで、IBコースに入ってからは経済について知ることが楽しくなったという金子さん。「日本に帰るのは英語をもっと完璧にしてから。先ずはこちらの大学に入って自分の可能性を高めていきたいです」。

最後に金子さんはこれから留学する人へのメッセージを残してくれた。
「留学は大変なこともありますがその分達成感も大きくてお勧めできます。他の国の人と会って違う考え方を知ることも楽しいですし、自分の視野も広がると思います。最初はできないことや間違いもあると思いますが、それは仕方ないものとして自分で素直に認められればストレスも溜まらないと思います。前向きに明るい気持ちで頑張ってください」。

取材:2014年11月

可能性に向かって

Adelaide High School(アデレード・ハイスクール)
West Terrace, Adelaide SA 5000
adelaidehs.sa.edu.au

吉田 千遥さん / Chiharu Yoshida

日本の中学校を卒業後すぐにアデレードに高校留学した吉田さん。2014年4月Adelaide High SchoolのISECコース(International Secondary English Course)に入学し、2015年1学期からのYear10編入を目指して英語とオーストラリアについて集中的に学んでいる。

転機の3年間

「もう一回ここに来たい」。2011年、中学校入学を目前にした春休みに訪れたアデレードで吉田さんが思ったことだった。親戚を訪ねての初めての海外で特にアデレードの空気、自然、街の雰囲気に魅了された。そんな吉田さんに父親の進也さんが何気なく返した「高校留学したら?」から3年、吉田さんは高校生として再びアデレードに降り立った。

あっという間の3年のようだったが、実際にはその間吉田さんは自分の進路について心が揺れることも多くあった。特に中学2年のときはクラスも楽しく、「みんなの進路が決まりだしたころは本当に迷いました」。そして3年生になったときにはアデレードの親戚がメルボルンに引っ越すことになりさらに気持ちも揺れたが、「いい経験にもなるし、やっぱり行ってみるのもありだな」「英語ができるともっと楽しくなるな」というチャレンジ精神を発揮し、「留学するならアデレード」と初心を貫いた。同じくアデレードが好きで留学にも賛成してくれた母親の由季さんを始め、周りの人たちは「千遥は大丈夫だろう」と送り出してくれ、現地到着後は親戚の友人やホストファミリーのサポートもあって順調に新たなアデレード生活をスタートすることができた。

Adelaide High School とISECコース

吉田さんは希望の留学先高校について郊外の学校も含めいくつか考えたが、最後は「アデレードに留学するのだからアデレード高校だと名前もストレートな感じだし、学校の評判も良くてシティにも近くて色々と便利」ということから、アデレードで100年以上の伝統と名声を誇るAdelaide High Schoolへの留学が決まった。
Adelaide High SchoolにはISEC(International Secondary English Course) と呼ばれる留学生向けの高校入学準備コースがあり、吉田さんはそこで2015年1学期からのYear10現地クラス編入を目指して毎日頑張っている。現在Adelaide High School のISECには中国、ベトナム、カンボジア、日本から合計8人の留学生が学んでいるが、少人数の分、一人当たりの発言回数も増えるなど吉田さんも手応えを実感している。ISECでは英語を学ぶESLに加え、オーストラリアの文化や特色、歴史などオーストラリアについて学ぶクラスや、アートや科学、数学のクラスもある。特に数学のクラスはAdelaide High SchoolのISECの場合、現地クラスの中に入って学ぶため、現地クラスの雰囲気を感じ、ローカルの友達を作るのにとてもよい機会になっている。

「Adelaide High Schoolはシティの近くなのにとても広くて木も多くていいところです。宿題のプリントワークが多くて大変だけど、たまには友達と放課後にシティに行ってリフレッシュしています」。

充実していく留学生活

「最初は何を言われているかわからないし、答えることもできませんでした。友達を作るのも大変でした」と苦労も多かった吉田さんだが、学校生活のリズムにも英語にも段々慣れ始めた最初の学期の終わりごろからは随分落ち着くことができ、ローカルの生徒とも話せるようになってきた。また、大好きなギターを日本から持参した吉田さんにとって、現地クラスで音楽を選択している生徒向けのレッスンを特別に受けられるようになったことも、学校に溶け込む大きな一歩になったばかりでなく、貴重なリフレッシュにもなっているようだ。
元々Year12修了後は帰国予定の吉田さん。その後の進路はまだ固まっていないというが、「音楽も好きだし、英語も生かしたことをしていきたいです。せっかく身に付けた英語を忘れてしまうのはもったいないから、Year12修了後も英語の環境で学べる場所に自分を置きたいと、こちらに来て思うようになってきました」。
これからのますます充実した留学生活が吉田さんの可能性をさらに高めていってくれる。

取材:2014年8月